アドセンス2

2013年7月26日金曜日

近代主権国家体系の成立と変容にあたって戦争が果たした役割

大学のテスト問題の為の草稿

近代主権国家体系の成立と変容にあたって戦争が果たした役割

 近代主権国家体制以前のヨーロッパはキリスト教世界だった。そこでは、世界は神によって想像された一つの存在であると考えられており、地上の世俗世界における皇帝などの統治権も神の代弁者たるローマカトリックの法王により授けられたものであり、統治権の権威は法王に依存していた。
1517年に始まったルターの宗教改革は、腐敗したカトリック教会に異議を唱え、聖書を介した人と神の直接の対話を主張し、カトリックの絶対的な権威を揺るがせた。同時に教会を頂点とし、下部にあった世俗の権威も崩壊し、王位継承や領地をめぐる領主間戦争、領主に対する農民戦争が、カトリック対プロテスタント間の宗教戦争と絡み合いながら進み、1618年30年戦争が勃発する。
30年戦争でフランスは、旧教国であるにもかかわらず、神聖ローマ帝国の野心を阻止する為に新教をとるスウェーデンを公然と支援する形で、自らの国益の追求という形で国家理性を発動させた。これは自己目的存在である国家の主権の成立にとって一つの契機だった。
 30年戦争の講和条約としてウェストファリア条約が結ばれる。戦争の原因が新教の弾圧にあったため、宗教を理由に他国に干渉する事を禁じた。またルター派と並び、カルヴァン派の信教も認められることとなった。しかし信教の自由は都市単位で君主のみがもつものに限られていた。
 この条約により宗教的権威としてカトリックの絶対性は消滅し、国家は内的には絶対的な権力として、外的には内政不可侵の原則のもと独立性を獲得するという形で近代主権国家体制は成立した。
 主権国家体制は他国への不干渉を原則としていたにも関わらず、非文明国に対しては主権をもたない国であるとして帝国主義政策をすすめた。
 現代のグローバル化は人権侵害への対応や地域統合のため主権は制限される一方、国家の領域を超える企業、テロ組織などのアクターの出現も進行しており、ウェストファリアシステムは、ポストウェストファリアシステムへと移行している。

国際政治史ー世界戦争の時代から21世紀へー ③

第三章 1930年代の危機と第二次世界大戦の起源

世界恐慌と国際体制の崩壊
1920年代の国際秩序の安定に経済の再建は不可欠だったが、ヨーロッパも、アジアもアメリカに依存していた。アメリカは農業、工業の輸出国であり、同時に資本の輸出国でもあった。ドイツの経済復興にはアメリカの投資が不可欠であり、日本は原材料の輸入と生糸の輸出として頼っていた。アメリカはヴェルサイユ体制とワシントン体制の蝶番だった。

アメリカ経済は大量生産、大量消費の新方式のもと発展をつづけたが、ヨーロッパの復興に伴い、農業、工業の過剰生産が明らかになると、ウォール街の株価の大暴落が起きた。ヨーロッパへの借款の停止、投資の引き上げががはじまると、恐慌は世界に広がる。
ドイツ経済はアメリカからの資本の流入が停止すると破綻し、500万人の失業者を失い、賠償支払い能力を失うと、イギリス、フランスの債務支払いも能力を失った。
アメリカ、中国への輸出に依存していた日本経済も、破綻に瀕し、1928年には山東半島に出兵する。
帰結として、イギリスは金本位体制を離脱し、自らの帝国を囲い込むスターリングブロックを形成した。

経済圏の少ない「持たざる国」は恐慌の影響を深刻にうけ、ファシズム体制が設立した。議論はのこるが共通の特徴として

  1. 全体主義と指導者原理
  2. 社会の強制的同質化と独裁政治
  3. 中間層を基盤とした疑似革命要素と反共
  4. 排外主義と膨張主義
に見出す事が出来る。世界恐慌に伴う経済的打撃が国家の混乱をを引き起こし、民主主義のひ弱さ故に、国民の意志による健全な解決を見出す事が出来なかった事がファシズム台頭の条件となった。

ファシズム諸国の対外戦略と宥和政策
ファシズム諸国は実力によって現状打開を目指す。31年に日独が国連から脱退、37年にイタリアも脱退し、枢軸国とソヴィエトが加入した国連が退治する構造が誕生する。
38年ドイツはヴェルサイユ条約を破り、オーストリアを、翌年チェコを併合。ポーランドとの不可侵条約、英独海軍協定も破棄。ワシントン体制を否定した日本も同時期のモンハンでソ連と衝突。

イギリス、フランス政府は友好国との軍事協力により平和の維持を測るのではなく、侵略を黙認し、相対としての現状維持をおこなった。
日本の満州侵略時のエイマーリは「日本を非難すれば、我々のエジプト政策も否定される」と語り、宥和政策の裏に帝国主義的共感があったことが伺える。

ドイツは自主的に締結したロカルノ条約を自ら破棄し、ラインラントを占領すると一時はヨーロッパに衝撃が走ったものの、「自分の裏庭に馬を乗り入れただけ」だと世論、政府は判断しヴェルサイユ体制は終焉した。

スペイン内戦におき、独伊を含むヨーロッパ諸国は不干渉を決定したが、両国は協定を蹂躙し反乱軍に軍事援助を行った。英仏はスペイン共和国政府を見殺しにしたが、紛争を極地化し、ヨーロッパ全体としての平和を求める宥和政策であった。
ヒトラー英仏との平和協力言質を取り付けるのと引き換えに、チェンバレンはズデーデン地方の割譲を認めた。(ミュンヘン会談)





2013年7月25日木曜日

国際政治史ー世界戦争の時代から21世紀へー②

第二章 第一次世界大戦後の国際体制

ロシア革命とウィルソンの14か条
「双方側からの帝国主義戦争」であるというWW1の本質をインターナショナルは見抜き、当初から反戦大会を開いていたが、戦争の開始とともに社会主義勢力はナショナリズムに飲まれ「祖国防衛」のために戦争に参加する。
しかし、戦争の長期化により厭戦気分と戦争目的への懐疑が広まり、反戦、反政府勢力は息を吹き返す。ロシア革命は情勢に大きなインパクトを与えた。

二月革命により帝政は崩壊したが、議会勢力と労農兵士ソヴィエトの二重権力状態となり、ロシア社会の問題は残されたままとなり、前線の厭戦気分はより高まっていた。
次第に力を強めた「ボリシェヴィキはすべての権力をソヴィエトに」という権力奪取の主張と、「無併合、無賠償の即時講話」を掲げ支持を獲得。後に武装蜂起し十月革命という形で権力を掌握。翌日「平和への布告」を発表、帝政ロシアの秘密条約の暴露を行い、連合国は戦争目的、講話原則の発表をせざるを得なくなった。

連合国の戦争目的表明の要請は、自国内の圧力から避けられない事となった。連合国は共同声明を試みるも利害が異なり調整は不可能ななか、ロイドジョージは、イギリスの隠された戦争目的は必死に獲得しようとしながら、反帝国主義、民主主義的な演説を行うと、フランスのクレマンソーは支持をした。
ウィルソンは秘密条約の禁止、航行の自由、経済障壁の除去を掲げる講話の原則の14か条を掲げた。平和原則ではあったが、植民地主義を否定するものではなかった。
連合国首脳はこれを講話の原則にすることに合意した。

大戦の終結とヴェルサイユ講和会議
WW1は総力戦だった。戦車、機関銃などの大量殺戮兵器の登場で両陣営合わせ1000万人の死傷者をだした。大戦の結果イギリス、フランスは領土の伸張を果たしたものの国力は衰退し、経済的にはアメリカの債権国へと身を落とした。ロシア革命の影響も大きく各地で労働者革命や、民族主義運動が起きる。
戦後処理には3つの要素が作用した。

  1. 戦争の帝国主義的性格
  2. 戦時中に発達した民主主義的、理想主義的性格
  3. ロシア革命と国際関係のあらたな要素としての革命対反革命の対抗

講和会議は1919年1月にヴェルサイユ宮殿にて開かれた。講話の前提としてロシア革命を始めとする革命への対処を問題とした。とりわけ、ロシアの代表権をだれに与えるかは差し迫った問題だった。旧帝政の将軍にソヴィエト政府を攻撃させるという企ても失敗し、連合国が対ソ干渉戦争を行う中講和会議は始まった。

一度は合意したウィルソンの14か条もそれぞれの利害により原則は形骸化し、会議は
帝国主義的取引の場となった。

ヴェルサイユ=ワシントン体制
ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマンの3帝国は解体。民族自決の建前のもと小国家に分割される。ドイツは、ヨーロッパの領土をベルギー、フランス、ポーランドに割譲し、新たに定められた国境は21世紀まで引きずる民族問題、国境問題の火種となった。また海外植民地にかんする一切の権原は放棄させられた。
ドイツにとって最も過酷だったのは、ドイツにより仕掛けられたしいられた戦争として戦争責任をすべて負わされ、被った損失と損害の賠償金額は天文学的数字となり、財政的圧迫は大きかった。

敗戦国それぞれと結ばれた5つの条約の総称をヴェルサイユ体制と呼ぶ。「帝国主義的平和をウィルソン主義の白いヴェールで覆ったもの」と称される体制の特徴は以下の通りだ。
  1. 帝国主義的性格を反映し、戦勝国による敗戦国領土略奪と分割の体制だった。いっさいの植民地を奪われたドイツは「持たざる国」として現状打破の願望を抱き次の大戦の導火線となる。
  2. 革命の鎮圧と対ソ干渉戦争の継続のもとで成立したヴェルサイユ体制は、列強の神聖同盟という性格をもった。
  3. 講和会議には帝国主義と闘った植民地の民族主義勢力も参加したが、委任統治制度が用いられ、あくまで植民地体制の上に存在している
  4. 白いヴェールの側面として国際連盟が設立され、集団安全保障体制が立ち上げられたが、制裁手段を持たず、アメリカの不参加などで、1930年代には機能を失った

国際政治史ー世界戦争の時代から21世紀へー ①

国際政治史ー世界戦争の時代から21世紀へー
佐々木雄太、名古屋大学出版会、2011

序章 20世紀と国際政治

国際社会と世界は同義ではない。国際社会とは、「主権国家を単位とする社会」をさす。17世紀後半に西欧で成立した国際社会が世界に伝播し、20世紀世界は国際社会になった。

国際社会に先立つヨーロッパはキリスト社会だったが、ルターの宗教改革とそれに次ぐ宗教戦争を経験し、ウェストファリア条約にて君主に宗教選択の自由を認め、領域における排他的な権利すなわち主権が認められることとなり国際社会は誕生した。

ウェストファリア体制での国際関係は主権を有するという均質な国家間での関係であり、諸国家の対外行動の基本動機は、国家利益、なかでも安全保障の追求にあった。

国家は安全保障の手段をまず国際法にもとめる。しかし、国内とはことなり超越的な審判者が不在のため、国際社会の絶対的な存在である主権をもつ国家は、約束である国際法に全面的な依存はせず、究極的に国力を手段としなければならない。さしあたっての政策は利害関係国との勢力均衡となるが、均衡は破られる可能性を秘めている為に、国家は利益実現の為の国力を、次第に力それ自体を目的にする。これがパワーポリティクスである。このような国際社会での平和とは諸国家の安全の算術的総和であり、国力の均衡に依拠する相対的平和にとどまる。


第一章 帝国主義の時代と第一次世界大戦

帝国主義の要因は多くの議論があるために、帝国主義に定義を与える事は困難であるがここでは「資本主義国家が、歴史のある段階で、国民国家の周りに、本来の国境を超えた広域支配権を確立しようとした動き」として近代帝国主義をさしあたって定義する。

19世紀末までに世界は列強の植民地にほぼ組み込まれた。広大な非ヨーロッパは国際社会に組み入れられたわけである。しかし、それで状況は膠着せず、国力の衰退国と、後発国の現れは再分割を要請した。


この背景には、不況と、電気、石油が可能にした第二次産業革命という経済的要因。民族国家の形成と民主主義的改革。経済権力と政治権力の結びつき、それによる独占資本による直接支配(介入主義国家)などの政治的要因があった。

ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟、イギリス、フランス、ロシアの三国協商の軍事同盟の利害対立は全世界に及び火種はあちこちにあった。オーストリアとロシアの野心がバルカン半島で衝突し、ハプスブルク家の王子が暗殺されたサライェヴォ事件によりオーストリアがセルビアに宣戦布告しWW1は始まる。

ドイツの戦争目的
工業の急成長と政治、軍事のおくれが植民地保有の野心を強めた。特にイギリスから分け前を奪おうとしていた。軍備の増強により、軍部の政策決定の末戦争に突入

イギリスの戦争目的
ドイツによる中立国ベルギーへの侵略を非難し、ドイツの専制支配に対する、戦争を終わらせる為の戦争という正当性を打ち出し参戦。しかし裏には、サイクスピコ協定などのオスマン帝国への野心、アラビアや、南太平洋のドイツ植民地の排他的影響力の獲得を方針にしていた。

アメリカの参戦目的
元来親英だったが、直接には無制限潜水艦作戦によりアメリカ船舶が被害を受けた事により「民主主義にとって安全な世界を作る」ことを目的に対ドイツ宣戦布告。しかし、深層には広い意味での帝国主義的目的があった。協商国との通商関係は活発だったため、協商国の勝利はアメリカの権益にかなっていた。


2013年7月24日水曜日

神々の原影

神々の原影
西田長男、三橋健、平河出版、1983

これも学校の課題の為に読んだ。大分端折った自分の為のメモ。


神が神にまつられる事
現代では、神社に人間がまつられると考えられていることもあるが、中世ではまず考えられないものだった。中世は以下のような神社縁起のプロセスをたどるからである。
1.     神が
2.     人間の胎内をかりて、
3.     権りに人間として生まれ
4.     人間の苦楽をなめ、
5.     死に(多くの場合は罪なくして、殺戮される)、
6.     やがて神として蘇り、
7.     衆生を救う身(神)となる。
 (8)そして1に戻る

円環状のプロセスをたどることから、神は始めから神であった事が分かる。現在人が神になると言っているのは3以降の経過しか見ていない。

神ははじめから神
神が絶対的に神であるならば、始めから神でないとならない。人間を神としてまつった例は一例も存在しない。豊臣秀吉をまつった例などを言われるかもしれないが、秀吉は生前から自身を神の申し子であるといい、周りの者もそうであると言っていた。そして徳川家康も、東照大権現という、東方を支配する薬師如来の生まれ変わりと言われていた。単なる人間として家康をまつったのではなく、神としてまつった。

「神仏」という観念
宗教研究では神道と仏教をはっきり分けて考えられているが、一般民衆の心の奥では、神と仏が同居し、「神仏」という観念が存在していたと考えられる。
「日本人は仏に帰依するために、古来の神に対する信仰を捨てなければならないと考えなかった」

わが国の諸宗教の並在状況は、単なる並在ではなく、それらを統一させる何かが日本人の信仰の最も深いところにある。それが「日本宗教」である。


2013年7月23日火曜日

神と日本人ー日本宗教史探訪ー

学校の課題のために読む。

神と日本人ー日本宗教史探訪ー
村上重義,1984,東海大学出版

一章 

『日本人の神概念』

カミの語義
日本人のカミ(原語)概念は原始農耕社会に始まった。「神」「神祗」等の漢字を当てはめられるものの漢字の原義と異なる日本固有の観念である。その音から「かがみ」、「かしこみ」など10を超すほどの語義、語源の説が存在している。「上」という説もあったが、「カミ」の古音は「カム」であったということが分かり現在では否定されている。
本居宣長は、音から意義を探るのではなく、実例から帰納し、何であれ、よの常ではなく、すぐれた徳があり、かしこ(可畏)いものがカミであるとした。

カミの特徴
文献でさかのぼれる限りの古代において、日本人のカミ概念はすでに多用に分化していた。奈良以前の古代の用例は次の様な性格をもつ。

  1. 土地神。地域を領有し支配し、通る人間に危害を加える
  2. 天つ神。天上界を支配し、森に降りる。地上界を支配し、統治者の祖先となった
  3. 祖先神
  4. 雷、虎、狼、蛇など、人間に威力を振るう自然現象や動物
  5. 天皇
4、5は本来のカミの転用としての用法とみられるから、カミの基本的性格は、「目に見えず、人間に対して威力を振るう存在」ということが分かる。

原始農耕社会で成立したので主流だったのは土地神であり、2の観念は古代国家の形成過程で外から持ち込まれた者だと考えられる。
平安時代には、観念は受け継ぎつつも、カミの性格は分化する。仏教もカミに吸収され、さらに、すぐれた人間、非業の死をとげたものなどの霊もカミとして祀られる。
カミは、個人の行動を禁止したり、許すなど、調停的な役割を持つようになったが、畏れの対象であることに変わりはなかった。
仏教との接触は、目に見えないものであったカミの神像の作成や、所在をもたないカミに社殿という常在の場をもたらした。

カミと人間
平安時代中期は、政治の混乱と政争の激化に加え、自然災害、疫病が猛威を振るった。これらの災厄は、生前個性的だった人間が強い霊威をもつカミになったことによってもたらされたと信じていた。
疫病を押さえる為に、宮中と有力神社は御霊会をはじめ、農村に広がる。被害は菌の蔓延の多い夏場に行われ、後の夏祭りの原型となった。

霊魂観は仏教の普及により複雑化する。普通の霊は死後やがて個性を失い、祖霊の集合体にとけこむが、非凡だったものは個性を失わず、霊威をふるうカミとなった。中世期から近世には、徳川家康などの政治支配者がカミとして祀られる。天皇の為の戦没者を祀る靖国神社なども御霊信仰に発している。
日本人のカミ観念は死人のみならず、生きている人間をもカミとする人神観念まで展開する。
日本人のカミ観念は歴史の歩みとともに拡大してゆき、最終的に人間をも内包した。カミと人間の関係において、へだたりよりも連続を意識されるようになる。宗教の世俗化と、世俗の宗教化をもたらした。

カミとキリスト教の神
16世紀日本にキリスト教が流入すると仏教は布教者に論破された。キリスト教は当初神を「大日」と呼んでいたが、大日仏との差異をしり、「デウス」「天帝」などと呼ぶ様になった。
幕末ころからプロテスタントも伝来し、明治に入るとキリスト教の神が盛んに説かれ始める。「上帝」等の訳語も用いられていた。神という訳語が使われはじめたのもこの頃であった。
キリスト教の、一神教的絶対者、普遍的価値観の体現者としてのカミ観念は近代天皇制に組み込まれた。

ざっと読んだけれど、授業内容とあんまり関わっていないので終わり。


2013年7月22日月曜日

選挙について考えてみた

昨日は参議院選挙。僕は夕方思い腰をあげて投票しにいった。
選挙区で鈴木寛に、比例で共産党に入れてきた。
鈴木寛は政党ではなく人として選んだので迷わなかったけれど、比例は大変に悩んだ。
消去法をすると、どの党を取ったって悪い所がありすぎて全て消えてしまったので、なんとか悪い中のより悪くないものとして共産党を選んだ。

自民党大勝という結果は分かっていたけれども、まぁ嫌だね。
アベノミクスは成果を残しているから認めざるを得ないし、それが集票に繋がった結果だと納得はいくものの、そのアベノミクスという良さを数倍にも上回る悪い所が目につき過ぎている。児ポ法に反対だし、憲法改正には賛成だけれども自民の草案はマジで終わってると思う。

そんな自民を上回るほど山本太郎当選は終わってる。日本人ってすっごく馬鹿だと分かった。同じ社会の成員をdisるのがよくないみたいな道徳論なんか吹っ飛ぶくらい馬鹿。
山本太郎の主張は陰謀論とデマゴギーしかない。
「政府は情報を隠蔽している。隠蔽している中にはこんな情報があった。我々が発見したこの危険な情報をマスコミが報道しないのは株主に東京電力がいるからだ。選挙で落ちたのは不正が働いたからだ」

僕も脱原発はすべきだと考えているけれども、到底山本太郎陣営にはくみ出来ない。放射能の危険性を理解していないだけと言われるかもしれないけれど、かといって脱原発を志向するためにデマゴーグになることを許容する論理は存在しない。
データのねつ造をして、ある政策をすすめるというのは、震災以前の原発政策そっくりじゃないか。

科学が全てをコントロールできるとは考えない。しかし、科学者を追放するのではなく、科学者と市民がよい関係を築くことが必要だとあの事故は知らしめたのだと思う。我々の知識は専門家よりも少ないけれども、その知識人の空間にどうにか民主主義的プロセスを入れること、科学と民意の乖離を解消することを僕は理想とする。
そしてそれをもとに、感情的脱原発ではなく、科学的論拠による脱原発を進めるのがいいはずだ。(もちろん証明が終わるまでは保留で)

すこし話がずれたけれど、そんなことを選挙中から考えていた。
でも特になにもしなかった。
結局すずかんが落選し、山本太郎が当選したことに僕はかなりがっかりした。
せっかくインターネット選挙が解禁されたのだから、何か書けばよかったなーと後悔した。

民主主義の本質は、投票にではなく討議にある。
投票は意見集約の結果だ。納得のいく選挙の為には、時には自分から社会の成員の誰かと話さないとダメだなーと3回目の選挙で思ったといってみるテスト



2013年7月21日日曜日

風立ちぬ ー出てきた飛行機のまとめー

ー堀越二郎ー

九試単座戦闘機

クライマックスのあれ、ずっと夢見てたヤツ
映画のはかっこ良くし過ぎだけど、実際かっこいいから仕方がない

七試艦上戦闘機

製作主任に任された最初の飛行機、試験飛行中に空中分解したヤツ
PVの最後の残骸がこれ




零式艦上戦闘機

説明不要の零戦、だけど作中だとラストだけ
「あれがお前のゼロか?」ってシーンは胸アツだった
あと正式には「れいしき」だから、そういうと知った感じだせるんで覚えとくと便利



ー本庄ー

本庄季郎がモデルのキャラ、イケメンだったかは不明

九六式陸上攻撃機

沈頭鋲、引き込み式主脚の日本での採用第一号とか言ってたヤツ
列強とやっと技術がならんだ!とか言ってたのに飛行シーンがなくてガッカリだった


ーユンカース社ー

ユンカースG38

全幅44メートルというビックリメカ
元は輸送機だけど、日本でもライセンス契約して九二式重爆撃機として運用される
・・・運用されるはずだったけど、数機作ってるうちに時代遅れになって実戦参加せず
ロマンあふれる、ジブリデザインのオリジン



ーカプローニー
今はカプロニと書かれる方が多い

カプロニC60 トランスエアロ

1919年に作られた飛行機、ガチで100人の乗客をのせて大西洋を横断しようとしていた超大作
一回目のフライトで数フィート浮かぶと瓦解する、世紀の駄作


「風立ちぬ」の感想 ー反原発映画としての失敗ー

いまさら説明の必要もない宮崎駿の新作、風たちぬを見てきました。
本当に良く出来た映画で、ジブリ作品でも上位にきっと入ると思います。(ナウシカが疑い用もなく一位なので、二位を本作と紅の豚、ラピュタが争っています。)

この映画は製作発表当時から3.11以降を描くといったり、生きねばというメッセージを打ち出したりしたなど、単に夏休み恒例のジブリ映画としてではなく、震災以降を日本のトップクリエイター宮崎駿がどのように語るのかと特別な意味合いを持つ作品です。
しかし、残念な事にそのコンテクストに照らし合わせるとすれば、必ずしも風たちぬを手放しで褒めることは出来ない重大な要素を作品内に抱えています。
マジ奈緒子ktkr、みたいなオタクトークは一端我慢して、手放しで賞賛されている本作に正当な批判を投げかけたいと思います。

3.11以降の映画として、反原発論者の宮崎駿の主張は、好意的に解釈しても異なる結論を導きかねない。
伝記なのでネタバレを惜しみなくするけれども、宮崎は主人公堀越二郎を単に飛行機の美しさ、優美さに魅了されているオタクとして描いている。戦闘機を作っているという意識は恐ろしく低く、あくまで自分のつくった物に軍が勝手に機関銃を取り付けていると考えている。夢の中で、ユンカースG38が爆撃する光景を見るなどはするものの、自らの飛行機が闘っている光景は一度も出てこなかった。
過酷な時代に強く生きろというメッセージが、人の生き死にを左右する事すら忘れる程没頭しろということなのか?

そして、今テクノロジーを描くということは即ち原発のメタファーとなる。おそらく宮崎駿自身もそれに関しては間違いなく自覚をしていただろう。テクノロジーに善悪はないというメッセージも宮崎らしくはないものの(ナウシカでは巨神兵を危険なオーバーテクノロジーと描いている)、そのテクノロジーを作り出すものの責任や、作り出した後の責任はやはり存在する。
堀越二郎に戦争の責任を負わせる事もまた違うけれども、ラストシーン、生きねばという一言で回収出来るものでは全くないはずだ。
それこそ作中で堀越が言ったように「問題はより広く、より深い」
さらに辛辣に言えば、人を殺す道具になることを無視していた者の生きねばという言葉は恐ろしく空虚なものになっているはずだろう。生の讃歌を訴えようと、生の重みが絶対的にかけてしまっている。

本作ははっきり言って子ども向けではない。いつもより対象年齢は10は上だと思う。
ならば中途半端にジブリ臭さを残すのではなくて、ジブリの枠を超えた人間ドラマを描くべきだったのではないだろうか。堀越二郎のキャラクターの造形はとてもいい。物語の設定もとてもいい。しかし、あくまで二つは独立していて、両者の良さが互いに不協和音を鳴らしてしまっているからこそ、宮崎駿本来の主張からほど遠い結論に至ってしまっている。

ここまで書いたけど、宮崎駿映画の結論が宙ぶらりんになりがちなのは今に始まった話ではないので、宮崎映画としては平常運転なので、いつも通り最高です。
騙されたと思って見に行ってください。
あと、選挙はいきましょう。