アドセンス2

2013年7月23日火曜日

神と日本人ー日本宗教史探訪ー

学校の課題のために読む。

神と日本人ー日本宗教史探訪ー
村上重義,1984,東海大学出版

一章 

『日本人の神概念』

カミの語義
日本人のカミ(原語)概念は原始農耕社会に始まった。「神」「神祗」等の漢字を当てはめられるものの漢字の原義と異なる日本固有の観念である。その音から「かがみ」、「かしこみ」など10を超すほどの語義、語源の説が存在している。「上」という説もあったが、「カミ」の古音は「カム」であったということが分かり現在では否定されている。
本居宣長は、音から意義を探るのではなく、実例から帰納し、何であれ、よの常ではなく、すぐれた徳があり、かしこ(可畏)いものがカミであるとした。

カミの特徴
文献でさかのぼれる限りの古代において、日本人のカミ概念はすでに多用に分化していた。奈良以前の古代の用例は次の様な性格をもつ。

  1. 土地神。地域を領有し支配し、通る人間に危害を加える
  2. 天つ神。天上界を支配し、森に降りる。地上界を支配し、統治者の祖先となった
  3. 祖先神
  4. 雷、虎、狼、蛇など、人間に威力を振るう自然現象や動物
  5. 天皇
4、5は本来のカミの転用としての用法とみられるから、カミの基本的性格は、「目に見えず、人間に対して威力を振るう存在」ということが分かる。

原始農耕社会で成立したので主流だったのは土地神であり、2の観念は古代国家の形成過程で外から持ち込まれた者だと考えられる。
平安時代には、観念は受け継ぎつつも、カミの性格は分化する。仏教もカミに吸収され、さらに、すぐれた人間、非業の死をとげたものなどの霊もカミとして祀られる。
カミは、個人の行動を禁止したり、許すなど、調停的な役割を持つようになったが、畏れの対象であることに変わりはなかった。
仏教との接触は、目に見えないものであったカミの神像の作成や、所在をもたないカミに社殿という常在の場をもたらした。

カミと人間
平安時代中期は、政治の混乱と政争の激化に加え、自然災害、疫病が猛威を振るった。これらの災厄は、生前個性的だった人間が強い霊威をもつカミになったことによってもたらされたと信じていた。
疫病を押さえる為に、宮中と有力神社は御霊会をはじめ、農村に広がる。被害は菌の蔓延の多い夏場に行われ、後の夏祭りの原型となった。

霊魂観は仏教の普及により複雑化する。普通の霊は死後やがて個性を失い、祖霊の集合体にとけこむが、非凡だったものは個性を失わず、霊威をふるうカミとなった。中世期から近世には、徳川家康などの政治支配者がカミとして祀られる。天皇の為の戦没者を祀る靖国神社なども御霊信仰に発している。
日本人のカミ観念は死人のみならず、生きている人間をもカミとする人神観念まで展開する。
日本人のカミ観念は歴史の歩みとともに拡大してゆき、最終的に人間をも内包した。カミと人間の関係において、へだたりよりも連続を意識されるようになる。宗教の世俗化と、世俗の宗教化をもたらした。

カミとキリスト教の神
16世紀日本にキリスト教が流入すると仏教は布教者に論破された。キリスト教は当初神を「大日」と呼んでいたが、大日仏との差異をしり、「デウス」「天帝」などと呼ぶ様になった。
幕末ころからプロテスタントも伝来し、明治に入るとキリスト教の神が盛んに説かれ始める。「上帝」等の訳語も用いられていた。神という訳語が使われはじめたのもこの頃であった。
キリスト教の、一神教的絶対者、普遍的価値観の体現者としてのカミ観念は近代天皇制に組み込まれた。

ざっと読んだけれど、授業内容とあんまり関わっていないので終わり。


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