アドセンス2

2016年1月3日日曜日

【ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年】大原櫻子の歌に合わせ、まる子が手をつなぎ頬を赤らめる…

 ちびまる子ちゃんの映画が復活するという第一報を聞いた時は、なんならスター・ウォーズの新作をやることと同じくらい喜んだ。『わたしの好きな歌』という92年の長編は、曲のチョイスも見事だったし、あのアヴァンギャルドなぶっ飛んだ演出に震えた、日本のアニメ史に残る大傑作だったからだ。最近のテレビシリーズはヌルいし、まるちゃんは公営ギャンブルのマスコットキャラクターに落ちぶれたちゃったけど、久々にフジテレビは本気を出してくれるんだなと心底期待して、僕は映画館に向かったのだ。
 なんだよ、この出来は! どうしてまるちゃんが、大原櫻子のキラキラした歌にのせて、男と手を繋いで頬を染めてんだよ! ジャニーズ主演のスイーツ専用のラブコメ映画かよ!
 いきなり文句を垂れても分からないだろうから、説明をすると、この映画はタイトルずばりなのだが、海外からホームステイに来た6人の少年少女と仲良くなる話で、まるちゃんはイタリア人の男の子を家に泊めることになって、その彼と上に書いたように西野カナのトリセツに出てきそうなイチャラブシーンを繰り広げるのだ。
 まあ、まるちゃんだって、手を繋ぎたくなるかもしれないと、僕のちびまる子ちゃん像から批判するのはよしたとしても、作品の根幹たる外国人の描写があまりにもズサンすぎる。ブラジル人の女は、ひたすら絶叫して踊り狂ってるだけで、一言も人間的なセリフは喋らないし、インド人に至ってはコメディリリーフにもなってない、知恵おくれみたいなキャラクター。
 それをさも、その国の民族性を投影しているかのように描いてるんだからたちが悪い。初めて、インドを知る子供が見に来て、インド人はキチガイしかいないのかと思って帰る映画を作るってどういうことよ。
 ちびまる子ちゃんには、まる子が南の島に行って、現地の女の子と言葉が通じないもののジェスチャーを通して仲良くなる『まるちゃん南の島に行く』という号泣の名作エピソードがある。この映画よりよっぽど健全に国際交流してるお話だ。そういう前例があるだけにわざわざ劇場版を作る意味があったのか、甚だ謎だ。