アドセンス2

2013年7月26日金曜日

国際政治史ー世界戦争の時代から21世紀へー ③

第三章 1930年代の危機と第二次世界大戦の起源

世界恐慌と国際体制の崩壊
1920年代の国際秩序の安定に経済の再建は不可欠だったが、ヨーロッパも、アジアもアメリカに依存していた。アメリカは農業、工業の輸出国であり、同時に資本の輸出国でもあった。ドイツの経済復興にはアメリカの投資が不可欠であり、日本は原材料の輸入と生糸の輸出として頼っていた。アメリカはヴェルサイユ体制とワシントン体制の蝶番だった。

アメリカ経済は大量生産、大量消費の新方式のもと発展をつづけたが、ヨーロッパの復興に伴い、農業、工業の過剰生産が明らかになると、ウォール街の株価の大暴落が起きた。ヨーロッパへの借款の停止、投資の引き上げががはじまると、恐慌は世界に広がる。
ドイツ経済はアメリカからの資本の流入が停止すると破綻し、500万人の失業者を失い、賠償支払い能力を失うと、イギリス、フランスの債務支払いも能力を失った。
アメリカ、中国への輸出に依存していた日本経済も、破綻に瀕し、1928年には山東半島に出兵する。
帰結として、イギリスは金本位体制を離脱し、自らの帝国を囲い込むスターリングブロックを形成した。

経済圏の少ない「持たざる国」は恐慌の影響を深刻にうけ、ファシズム体制が設立した。議論はのこるが共通の特徴として

  1. 全体主義と指導者原理
  2. 社会の強制的同質化と独裁政治
  3. 中間層を基盤とした疑似革命要素と反共
  4. 排外主義と膨張主義
に見出す事が出来る。世界恐慌に伴う経済的打撃が国家の混乱をを引き起こし、民主主義のひ弱さ故に、国民の意志による健全な解決を見出す事が出来なかった事がファシズム台頭の条件となった。

ファシズム諸国の対外戦略と宥和政策
ファシズム諸国は実力によって現状打開を目指す。31年に日独が国連から脱退、37年にイタリアも脱退し、枢軸国とソヴィエトが加入した国連が退治する構造が誕生する。
38年ドイツはヴェルサイユ条約を破り、オーストリアを、翌年チェコを併合。ポーランドとの不可侵条約、英独海軍協定も破棄。ワシントン体制を否定した日本も同時期のモンハンでソ連と衝突。

イギリス、フランス政府は友好国との軍事協力により平和の維持を測るのではなく、侵略を黙認し、相対としての現状維持をおこなった。
日本の満州侵略時のエイマーリは「日本を非難すれば、我々のエジプト政策も否定される」と語り、宥和政策の裏に帝国主義的共感があったことが伺える。

ドイツは自主的に締結したロカルノ条約を自ら破棄し、ラインラントを占領すると一時はヨーロッパに衝撃が走ったものの、「自分の裏庭に馬を乗り入れただけ」だと世論、政府は判断しヴェルサイユ体制は終焉した。

スペイン内戦におき、独伊を含むヨーロッパ諸国は不干渉を決定したが、両国は協定を蹂躙し反乱軍に軍事援助を行った。英仏はスペイン共和国政府を見殺しにしたが、紛争を極地化し、ヨーロッパ全体としての平和を求める宥和政策であった。
ヒトラー英仏との平和協力言質を取り付けるのと引き換えに、チェンバレンはズデーデン地方の割譲を認めた。(ミュンヘン会談)





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