アドセンス2

2014年2月15日土曜日

【評/感想】『エージェント:ライアン』オリジナリティがゼロ 理論だけで作られた映画



私は今22歳、おそらく同世代の人は『ジャック・ライアン・シリーズ』に聞き覚えがある人は少ないはずだ。ジャック・ライアンとはトム・クランシーによるスパイ・テクノスリラー小説の主人公だ。CIAの工作員である彼は度々「アメリカン・ジェームズ・ボンド」などと称される。1992年 にはハリソン・フォード主演『パトリオット・ゲーム 』として、また2002年 にはベン・アフレック主演で『トータル・フィアーズ』とこれまでに4作映画が作られてきた。

そして5作目となる『エージェント:ライアン(Jack Ryan:Shadow Recruit)』はスター・トレックで知られるクリス・パインを主演に迎え新しいシリーズのリブートとして制作がはじまった。

今までのシリーズ作品とは異なりこの映画は原作小説を持たない完全オリジナルストーリーで作られている。というのも、ジャック・ライアンの一作目が書かれたのは1984年と冷戦真っ只中だった。
小説の一つの魅力である「時事性」を組み入れるためにも、ジャック・ライアンを現代の人物に生まれ変わらせる必要があった。この映画で彼は、金融工学を学び、911テロに影響され、CIAにいささかの嫌悪感を抱いている。
たしかに現代的な設定といえるだろう。

この映画は『 ダークナイト』に対する『バットマン・ビギンズ』のような新たなアメリカンヒーローの誕生談だ。
経済学の博士号を取得したライアンは、その愛国心からCIAにスカウトされ、メリルリンチに入社しながら不審な金の流れを監視する。
アメリカ-ロシア間で緊張が高まる中で、ロシアの大顧客の口座が秘密裏に凍結される。それはクレムリンが画策する金融テロの予兆だったのだ。それまでホワイトカラーだったライアンは一転し、エージェントとして単身ロシアに乗り込み陰謀を阻止する

この映画でもっとも褒めるべき点は、シリーズ第一弾にありがちな冗長さが一切ない。それでありながら必要十分な作品設定を提示し、自然な形で物語の核心部分に入っていく。また、ヒロイン・キーラ・ナイトレイとの恋模様も描かれつつも、それが物語の停滞とならずストーリーの一貫として機能している。観客が期待するものを理解し、一度たりともその点から離れないハリウッドメソッドをこれほど美しくなぞっている映画はそうそうない。

そしてもちろん本筋のスパイ、アクションも大変良く出来ている。こういったジャンルの映画が好きな人なら誰でも楽しめるはずなので、ここでは深入りはしないでおこう。

一本の映画として見た時『エージェント:ライアン』は良く出来ているが、それらは全てメソッドで作られた魅力にすぎないかもしれない。シリーズものとして最も必要となるオリジナリティが完全に欠如している。
映画を見ている最中仕切りに、「このシナリオを名探偵コナンでやったら、相棒でやったら面白いだろうな」などと考えていた。
その理由はライアンの造形にある。元からアメリカン・ジェームズ・ボンドと呼ばれるだけあり、ライアンの独自性というのは少ないものの、「愛国者で、家族想いで、ネオリベ的」というアイデンティティを持っていた。(もっともそれらを私は魅力的だとは思わないが)
アップデートされたライアンはそのアイデンティティがいささか薄味になり、結果キャラクターの造形がぼやけてしまっている。より砕けた言い方をすれば、キャラクターが立っていないのだ。

シリーズ映画というのは、「あのキャラクターにまた会いたい」と思わせることから始まる。私はライアンのこれからの行く末に関しては、一切の興味を抱かなかった。


2014年2月9日日曜日

【評/感想】『スノーピアサー』設定の甘さ、ガッカリSFの典型



東京で45年ぶりの27センチの積雪が観測された201428日、そんな真冬に相応しい映画『スノーピアサー』が封切られた。

2014年夏、行き過ぎた地球温暖化を止めるため国連は大気冷却装置を打ち上げる。しかし、それは裏目に出てしまい地球は氷河期となってしまい、地上の生物は絶滅してしまった。一台の列車を除いては。
車掌であり設計者のウィルフォードがつくったその列車は、地球を一年間で一周し、永久機関のエネルギー源をもち、そして内部のエコシステムは一台の列車で無限に循環可能なのだ。それはまさしく小さな地球そのものだ。

列車の内部は生態系を崩さないために人間を部品のように扱い、一定の持ち場を与えられたなら、そこから離れることは許されない究極の身分制社会が敷かれている。

主人公のカーティス(クリス・エヴァンス)は、ヒエラルキーの最下層として列車の最後尾に暮らしている。劣悪の住環境、食糧は羊羹のようなプロテインブロックのみ(これにはおそろしい秘密がある)、彼らは上の階級から絶え間ない監視と暴力に曝されていた。カーティスは長老のギリアム(ジョン・ハート)、列車のセキュリティ設計を行ったナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)と革命を企てる。

監督は、『グエムル-漢江の怪物- 』などで知られるポン・ジュノ。本作は、韓国だけでなくアメリカ、フランスの資本と合作で作られた。昨年世界に先駆けて先行公開された地元韓国では批評家からの評価も高く、第33回Korean Association of Film Critics(KAFC) Awards 最優秀作品賞、最優秀監督賞、撮影賞を受賞したという。

これらの高い評価とは裏腹に全ての面において煮え切らない、中途半端な作品だというのが私の率直な感想だ。

その理由は根幹部分の設定の杜撰さが、物語のあらに直結しているからだ。
「この列車は完全なエコシステムがある」と物語のなかで、はっきりと宣言されれば当然その内実を知りたいし、その生活を知りたいだろう。しかし、そういった物語を支えるリアリティが完全に欠如している。主人公カーティスの所属する最下層のライフスタイルすら全く分からない。たしかに記号的に酷い暮らしをしていることは伝わるが、裏打ちする設定が皆無なためにSF世界への導入を拒んでいる。

また、この映画で期待するのは前の車両に行くほどに身分が高くなっていく様が見えるような描写なはずだ。しかし、最下層以外はみな同じように暮らしている。いや、暮らしているという言葉も適切で無い。あからさまな快楽主義者にみせるような、クラブで踊っている人、ラウンジで酔っ払っている人ばかりが映る。彼らの住環境は一切浮かび上がってこない。

それに、見るからに薄汚い反逆者が後部の車両から来ていると分かっているにもかかわらず、戦おうともせず、はたまたパニックに陥る様子もない。この点に合理的な説明をつけないのはご都合主義のストーリーテリングと当然言われるべきだ。

もちろん、評価されるべき点も多い。発端となる暴動の描写は、列車という直線的な特殊環境を極限まで活かした名シーンであると言っていいだろうし、『ナルニア国物語』で雪の女王を演じたティルダ・スウィントンはメイソンというアクの強い大統領を得じているのだが大変なハマり役だ。
また、ポン・ジュノ特有の抜けのある独自のギャグは良いアクセントとなっている。

悪い所に全て目を瞑ればたしかに高い評価に納得はいく作品だ。しかし悪い所に対して目を開く事こそ批評ではないだろうか。ポン・ジュノ監督の今までのフィルモグラフィーとくらべてあまりにもディテールの作り込みが弱すぎる。
映画としてより良くなる可能性を潰した勿体無い作品となってしまった。


【探訪】『山口敏太郎の妖怪博物館』にサブカル女子と遊びにいけば100%ヤレる!

東京の新名所と言えば何を思い浮かべるだろうか。
東京スカイツリーや、改築された東京駅などがマスコミなどでは、もてはやされているようだ。
しかし昨年20131120日をもって、それらの新名所はもはや旧名所となったと言っても過言ではないだろう。
そう。世界初のあの博物館が誕生したのだ。
その名を『山口敏太郎の妖怪博物館』という。

オカルト研究家としてサブカル界で名を馳せ、テレビ番組でも活躍されておられる「あの」山口敏太郎が、お台場に博物館をオープンさせたのだ。まさしくビッグニュースだ。それにも関わらず、テレビ局はニュース速報として流さなかったことは断罪されてしかるべきだろう。

東京を新たに代表する博物館はお台場海浜公園駅、東京テレポート駅からまもなくの大規模商業ビル「デックス東京ビーチ」の4Fを占める台場一丁目商店街のテナントの一つとして入っている。別館はあの東京ジョイポリスだ。
台場一丁目商店街は昭和の町並みを意識し、レトロでエンターテイメント性あふれるコンセプチュアルな商業施設だ。ナンジャタウンなどと近いかもしれない。



『山口敏太郎の妖怪博物館』は、ノスタルジックで笑い声があふれる直線のなかではっきり言って異様な存在感を示している。お化け屋敷とはまた一味違う、胡散臭さが溢れまくっていたかつての見世物小屋のような様相だ。
店先には、数々のオカルト本が売られているが、そこに並ぶ「UMA」「都市伝説」「フリーメーソン」などなどのファンキーな単語は、さながらお台場デートに来たカップルを寄せ付けない結界のような威圧感があってとても宜しい。

入館料は現在大人400円。カウンターのお姉さんにお金を払って中に入る。中は思ったよりも小さく、おそらく10帖ほどしかない。その日は私と連れ合いの二人だったから良かったが、床の上にも大量の展示物が敷き詰められているのであと数組が入ったら身動きが出来なくなるだろう。

この日は来館数が少なかったからかもしれないが、受付のお姉さんが付きっきりで展示物の解説をしてくれる。当然詳しいのだが、なにより語り口が素晴らしい。学芸員の語り口とは一味違う、たとえるならオタクの友人の家に行き「このフィギュアなに?」と尋ねた時の返答に似た解説だ。愛があふれていてグイグイと引き込まれる。
この日は特別空いていたのかもしれないが、正味一時間ほどマン・ツー・マンで解説をしてくれた。400円でこのサービス、言うまでもなく破格である。
東京で一番の「お・も・て・な・し」に溢れたレジャースポットだと、私は自身をもって主張する。是非、クールジャパン委員会は国費を費やし後援するべきだ。

この日の私の目当ては「チュパカブラの剥製」。
チュパカブラと言えば南米やアメリカ本土を中心に、家畜や人間の血をすする獰猛な肉食獣として噂されるキング・オブ・UMAだ。
未だ正体が分からない生物の剥製をなんと、山口敏太郎は手に入れ展示している。それがこちらだ。



全長はおおよそ50センチ。地上の生物の皮膚とは考えられないような、硬質で、不気味な色をした肌、そして鋭利に飛び出た牙。剥製と言えどもその迫力には思わず、たじろいでしまう。
解説によればなにかの動物(おそらくコヨーテ)を北米の職人が手を加えこのような異形に仕立てたと書かれていたが、おそらくそれはCIAの圧力により記述の変更を余儀なくされた結果にすぎない、よってほぼ間違いなくチュパカブラだろう。



撮影が可能なのはこのチュパカブラと、ツノウサギの二種類しかないのでお見せすることができないが館内には他にも様々な曰くつきの展示物が並べてある。
河童のミイラや、ひとりでに増殖する毛玉「ケサラン・パサラン」、瓶詰め人魚の標本などなど。
暗い青春を過ごした人間なら一度は書籍で読んだあの珍品たちが一同に会している。UMA界のアベンジャーズだ。

サブカル女子とのデートにつかえば、やれること間違いなし!

お台場海浜公園で宵闇に光るレインボーブリッジを眺めながら「君の瞳は、イルミナティのようにミステリアスだ」と呟けば、どんな女でもイチコロだ!