アドセンス2

2014年5月11日日曜日

【評/感想】『WOOD JOB! 』原発作業のメタファーとしての林業 愛国としてのサステナビリティ



『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』を監督した矢口史靖の影響は計り知れないほど大きい。
批評家の宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』において矢口のそれらの作品群を、
①広義のクラブ活動に所属し
②成績などの社会的評価は重視されず
③むしろ過程での連帯感が重視される
、ような「楽しむだけでいい」という極端な青春賛歌だと評している。
テレビドラマは言うに及ばず、『けいおん』などのいわゆる日常系、空気系と呼ばれる作品の始祖として矢口史靖フォーマットは燦然とそびえ立っている。

だが散々言われるように「日常」なるものは大震災と原発事故で崩れ去った。日常系の父・矢口はそのことを重大に受け止めている作家の一人だと私は考える。震災翌年2012年に公開された、ロボットの暴走とそれに続く隠蔽を描いた『ロボジー』は紛れもなく東京電力と原発事故のメタファー的作品だ。

そしてまた最新作『WOOD JOB! 神去なあなあ日常』もアフター3.11作品である。

あらすじ 
大学受験に失敗した平野勇気(染谷将太)は、たまたま見た林業ポスターの美女・石井直樹(長澤まさみ)に惚れ、三重に林業研修へ。シュプリームのTシャツを着て都会っ子丸出しな姿で神去村に着いた彼を待ち受けていたのは、村一番凶暴な男・飯田ヨキ(伊藤英明)。勇気は飯田家に一年間ホームステイしながら林業を学ぶ。

これまでの日本映画で田舎をテーマにする作品のゴールは「町おこし」にあった。何かを作ったりして、中央・都会に承認される。という構図だ。
現実の「B級グルメグランプリ」などもその範疇のものと言える。

WOOD JOB!』は安易にそういった社会的承認に落ち着かせようとはしない。ある意味では、従来の矢口システムの②を引き継いでいる。
しかし、それ以上にこの映画は「日常系」のサステナビリティを主題としていることが重要なのだ。

これまでの矢口システム③むしろ過程での連帯感が重視される、という刹那主義的楽しさとは日常が絶えず存在し続けていくという保証の上に成り立っていた。だが、過疎地・神去村は放っておけば人口が自然に消滅してしまう限界集落である。ここにある日常とは、絶えることない転落なのだ。

持続可能性の根幹を支えるのは他でもなく子を産むことだ。この作品では生々しい「性」に纏わる描写が多い。特に、伊藤英明とその妻で優香が演じる・みきの関係は凄まじい。

ラブホテルのタオルを首にかけ初登場するは、精力がつくようにとお弁当にハブの蒲焼きを入れたりと、とにかく必死に子宝を求める。コメディというオブラートで覆っているものの、社会を維持するために是が非でも産まなければならないような使命感を我々は見ることになる。
(エロ妻を優香に演じさせたのは矢口史靖史上最大級の功績)

林業は数世紀前に植えた木を維持し、伐採し、また植える。未来の子孫のために多大な労働力と、それに伴う死に直結する危険を割いているのだ。
アフター3.11を考える矢口史靖というコンテクストから推測すれば、この作品の林業労働者らは原発作業員のメタファーなのだ。

勇気はヨキに、金になるなら山の木を全て売ればいいじゃないかと素朴な疑問を投げかける。今だけを考えるならばたしかに合理的な計算ではある。原発事故もまた同様だ。現代だけを考えるならば廃炉作業など金食い虫以外なにものでもないし、地球を汚染した所で困ることはすくないはずだ。

消費社会に対する返答をヨキたちは直接的には述べない。かわりに、山のアニミズム的な伝統を勇気に見せるのだった。「山の神様」なんて言われれば、オカルトくさくて思わず身構えてしまうのが現代人だ。私もそうだったし、勇気も同様なリアクションを取る。

しかし、この映画はそんな我々に説得力を持たせるような圧倒的な自然の姿と、一種の霊的雰囲気をカメラに収めることに成功している。
恥ずかしながらその雄大さに私は号泣してしまった。


矢口史靖は我々日本人の心の古層にある信仰をくすぐり、現代日本の消費社会こそが虚像であることを訴えるのだ。『WOOD JOB!』はある意味では真に愛国的でもある。