アドセンス2

2013年7月24日水曜日

神々の原影

神々の原影
西田長男、三橋健、平河出版、1983

これも学校の課題の為に読んだ。大分端折った自分の為のメモ。


神が神にまつられる事
現代では、神社に人間がまつられると考えられていることもあるが、中世ではまず考えられないものだった。中世は以下のような神社縁起のプロセスをたどるからである。
1.     神が
2.     人間の胎内をかりて、
3.     権りに人間として生まれ
4.     人間の苦楽をなめ、
5.     死に(多くの場合は罪なくして、殺戮される)、
6.     やがて神として蘇り、
7.     衆生を救う身(神)となる。
 (8)そして1に戻る

円環状のプロセスをたどることから、神は始めから神であった事が分かる。現在人が神になると言っているのは3以降の経過しか見ていない。

神ははじめから神
神が絶対的に神であるならば、始めから神でないとならない。人間を神としてまつった例は一例も存在しない。豊臣秀吉をまつった例などを言われるかもしれないが、秀吉は生前から自身を神の申し子であるといい、周りの者もそうであると言っていた。そして徳川家康も、東照大権現という、東方を支配する薬師如来の生まれ変わりと言われていた。単なる人間として家康をまつったのではなく、神としてまつった。

「神仏」という観念
宗教研究では神道と仏教をはっきり分けて考えられているが、一般民衆の心の奥では、神と仏が同居し、「神仏」という観念が存在していたと考えられる。
「日本人は仏に帰依するために、古来の神に対する信仰を捨てなければならないと考えなかった」

わが国の諸宗教の並在状況は、単なる並在ではなく、それらを統一させる何かが日本人の信仰の最も深いところにある。それが「日本宗教」である。


0 件のコメント:

コメントを投稿