アドセンス2

2013年7月22日月曜日

選挙について考えてみた

昨日は参議院選挙。僕は夕方思い腰をあげて投票しにいった。
選挙区で鈴木寛に、比例で共産党に入れてきた。
鈴木寛は政党ではなく人として選んだので迷わなかったけれど、比例は大変に悩んだ。
消去法をすると、どの党を取ったって悪い所がありすぎて全て消えてしまったので、なんとか悪い中のより悪くないものとして共産党を選んだ。

自民党大勝という結果は分かっていたけれども、まぁ嫌だね。
アベノミクスは成果を残しているから認めざるを得ないし、それが集票に繋がった結果だと納得はいくものの、そのアベノミクスという良さを数倍にも上回る悪い所が目につき過ぎている。児ポ法に反対だし、憲法改正には賛成だけれども自民の草案はマジで終わってると思う。

そんな自民を上回るほど山本太郎当選は終わってる。日本人ってすっごく馬鹿だと分かった。同じ社会の成員をdisるのがよくないみたいな道徳論なんか吹っ飛ぶくらい馬鹿。
山本太郎の主張は陰謀論とデマゴギーしかない。
「政府は情報を隠蔽している。隠蔽している中にはこんな情報があった。我々が発見したこの危険な情報をマスコミが報道しないのは株主に東京電力がいるからだ。選挙で落ちたのは不正が働いたからだ」

僕も脱原発はすべきだと考えているけれども、到底山本太郎陣営にはくみ出来ない。放射能の危険性を理解していないだけと言われるかもしれないけれど、かといって脱原発を志向するためにデマゴーグになることを許容する論理は存在しない。
データのねつ造をして、ある政策をすすめるというのは、震災以前の原発政策そっくりじゃないか。

科学が全てをコントロールできるとは考えない。しかし、科学者を追放するのではなく、科学者と市民がよい関係を築くことが必要だとあの事故は知らしめたのだと思う。我々の知識は専門家よりも少ないけれども、その知識人の空間にどうにか民主主義的プロセスを入れること、科学と民意の乖離を解消することを僕は理想とする。
そしてそれをもとに、感情的脱原発ではなく、科学的論拠による脱原発を進めるのがいいはずだ。(もちろん証明が終わるまでは保留で)

すこし話がずれたけれど、そんなことを選挙中から考えていた。
でも特になにもしなかった。
結局すずかんが落選し、山本太郎が当選したことに僕はかなりがっかりした。
せっかくインターネット選挙が解禁されたのだから、何か書けばよかったなーと後悔した。

民主主義の本質は、投票にではなく討議にある。
投票は意見集約の結果だ。納得のいく選挙の為には、時には自分から社会の成員の誰かと話さないとダメだなーと3回目の選挙で思ったといってみるテスト



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