アドセンス2

2013年12月16日月曜日

【評/感想】『ゼロ・グラビティ』はあなたのすべての身体機能をジャックする


うわさの『ゼロ・グラビティ』をIMAXで見てきた。
あと私が見たユナイテッド・シネマとしまえんでは「ウィンブルシート」なる座席振動装置があるのでそれも使った。

結論からいうと、すごくすごかった。

「映像への没入感がー」とか言ってるけど、ぶっちゃけ意味がわからなかったのですが本当にその通り。
映画は地球の大写しから言われている通りの13分の長回しで始まる。その壮大で美しい地球に感動するのもつかの間、きっとあなたは不思議な感覚に襲われ始める。地球にピントを定めたままにカメラは徐々に動く。NHKの自然番組や、はたまたユニバーサルフィルムのロゴムービーで見慣れたような横向きに地球の表面をぐるっと写すようなものにしか見えないのだが、身体は明らかに異変を感じる。そうそれは前後にあるいは斜め方向だろうか、まさに3D的動きがあるのだ。
そして次に視線は宇宙に向かう。地球の奥の暗黒から白い物体がゆっくりと近づいてくるのが見えてくるのだ。この物語の主人公ライアン博士(サンドラ・ブロック)が船外活動を行っている船だ。カメラはここでは固定され、一直線で船は向かってくる。それはつまり、スクリーン内の情報量が増大することも意味する。
目に見えるすべてのものが慣性の法則に従い、点でバラバラの方向に飛び回る。それはカメラも例外ではない。ここからはカメラワークは活発となる。常に下にあると思っている地球が、頭上に見えたり、横に見えていたりし始めるといよいよあなたは方向感覚を奪われ、眼前のグラビティゼロへ完全に投企される。

人間が歩けるのは脳が次の行動を予知し絶えず平行へとバランスをとっているからだという。しかし、誰も経験したことのないグラビティゼロでは当然そのような機能は働かない。つまり、誰しもこの映像を見れば酔ってしまう。その辺は制作も織り込み済みで、あなたの酔いという身体現象までもひとつの演出効果として映画で使用している。

没入性を促すのは上下感覚の喪失だけではない。次に失うのは身体機能のコントロールだ。知っての通り宇宙空間では、空気がないため音も一切聞こえない。映画なので爆破音や、BGMは使われるもののそれらも一般の映画と比べればとても静かに抑えられている。その代わりにこの映画を通して聞こえる通奏低音は呼吸だ。「はあ、はあ」という音が大きな音で常にリズムを刻む。その音が段々と自分の呼吸なのか、SEなのかが分からなくなる。そしてとどめはウィンブルシートだ。呼吸音と合わせて振動する椅子により、音と自分の身体が共鳴し、完全にライアン博士にシンクロしてしまう。そう身体機能をジャックされてしまうのだ。

ここまで自己との同一化が進むと手に汗握るどころではなく、苦痛を直に感じてしまう。ライアンの酸素ボンベが減り彼女が酸欠になりかけると、呼吸が完全にシンクロしてしまっているので同じく観客も苦しくなる。
デブリに衝突し、宇宙に飛ばされかけた時は何かに掴まらないとと脳が咄嗟に判断をくだし、すぐ近くにあるものをギュッと握ってしまう。

映画が終わり地球の大地に足が付いている感覚に安心し、冬の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み酸素のありがたみを知るとき、IMAXで見て良かったときっと実感するはず。

2013年12月15日日曜日

【評/感想】「認知症も悪い事だけじゃない」という言葉が偽善的に聞こえる人に勧めたい『ペコロスの母に会いに行く』



『ペコロスの母に会いに行く』を見てきた。
ウィークエンドシャッフルなどで、「号泣、嗚咽がとまらない」などの感想に背中を押されて向かった。

予告編で、「ボケるのも悪い事だけじゃないね」といってたりしてるのを見て、行く前は私の好きそうな映画ではないかもなと思っていた。病気を肯定して生きるというのはありうることだけど、映画でのそれはいかにも偽善的で、ただ観客を肯定し感動を呼ぼうとする魂胆が見えるものばかりだった。

『ペコロスの母に会いに行く』もそういった病気を扱う映画と同じ様に「ハートフル」だし、人情が溢れた映画だ。それは『男はつらいよ フーテンの寅』などを手がけた森崎東監督の持ち味の一つだ。その一方で、それはひとつの側面、あるいはオブラートの外側にすぎず、その内実はかなりハードコアで、アバンギャルドなサイケデリックムービーでもある。

62歳の主人公・岡村雄一(バンドもやっていて、ステージネームがペコロス)は89歳の認知症の母・みつえを介護しながら、息子と三人で暮らしで、みつえに振り回されながらも、音楽を支えに、日々を送っていた。おれおれ詐欺に引っかかりそうになったり、勝手に外にうろつく母を探し回ったりする様をカメラは面白おかしく捉える。亡くした夫を生きているように「おとうさんはどこにいるの?」といったり、幼少時代に一緒に育ったものの若くして死んだ友人に手紙を書いたり、記憶の交錯も起き始める。ただ、これらのシリアスなものも演出の力で笑いに昇華している。映画館は終始笑いに包まれていた。

だが、認知症は進行しケアマネジャーに施設への入居を薦められる。雄一は入居させたいものの、みつえは入居を嫌がる。幼稚園児を扱うような話し方、狂ったような入居者をみつえは訝しく思っていた。そして何より、息子の雄一と一緒にいられないことを最も嫌がっていたのだ。
ちなみに、『ペコロスの母に会いに行く』というタイトルは、「私は介護はしていません。ただ、施設に会いに行っているだけです」という謙遜からきている。

入居者や、その扱い方を拒むみつえは、彼らとは一線を画し自室に閉じこもる。そして彼女は自らの記憶の中にどんどんトリップしていくのだ。そしてそれらは、いままで誰にも言えなかった、トラウマ的な記憶たちなのだ。
農村の10人兄弟の長女だったみつえが、病弱な妹に畑仕事をさせ、ある意味殺してしまったこと。夫(加瀬亮)のDVや、すべてを酒に使ってしまい空の給料袋を持ってきたこと。それを苦に、雄一と冬の海の前で心中を図ろうとしたこと。
それらを、断片的に前後にとらわれず観客に提示する手法はさながらサイケデリックムービーのようなのだ。

亡き父とみつえの思い出の場所が、長崎ランタン祭であることを雄一は思い出す。元気をなくしていた、みつえを雄一は祭に連れて行く。そしてランタンをさながら走馬灯に見立て、観客もみつえの記憶の中へと潜って行き、感動のラストへと話は一気に向かう事になる。
(ここはとにかく撮影がすごい!夕闇のなかのランタンの幻想的な雰囲気を心理描写と重ねるように自由自在に、恐ろしくも、美しくも描いている。ここもサイケっぽさがあって、イージーライダーのラストの祭描写とすごくよく似ている。)

この映画は単なる認知症映画ではない。見る前に私が偽善的だと吐き捨てていた、「ボケるのも悪い事だけじゃないね」という言葉が跳ね返ってくる。つまり、この映画での先の言葉は「つらい現実をみるよりも、幸せな記憶に閉じこもれる病気って素晴らしいよね」というどこか皮肉的な言葉なのだ。

ディテール的部分の認知症ギャグ、ハゲギャグも冴え渡っているし、なにより最高齢主演女優としてギネスに認定される(らしい)御年88歳の赤木春恵の演技がすばらしい。また、アウトレイジファン的にはこの映画の加瀬亮の役はまんまそれ!というか、倫理的にはもっと酷いことをやっちゃってたり生唾ものだ。
この冬の隠れた名作として是非見るべき作品だ。

【評/感想】この冬、最もチェックしなくていい映画!『REDリターンズ(RED2)』


Retired Extremely Dangerous」(引退した超危険人物)略して「RED」。
引退したCIAの元スゴ腕エージェント、フランク(ブルース・ウィルス)は、のんびりと田舎暮らしをしていたのだが、突如家を襲撃される。その攻撃は、彼が昔関わった事件を闇に葬るためにCIAが企てたものだった。フランクは元同僚たちと再び協力し、CIAの陰謀をぶち壊す。というRED/レッド』の続編映画が、『REDリターンズ(RED2)』だ。

前作『RED/レッド』はありがちなストーリーながらも、引退したおじいちゃん、おばあちゃんが若者を相手取り最高にクールなアクションをキメたイカした映画だった。それに比べて『REDリターンズ』を一言で表すなら「老害」映画だ。

前作から数年の時が経ち、フランクはガールフレンドのサラ(メアリー=ルイーズ・パーカー)と静かに暮らしていた。彼らがスーパーマーケットで買い物をしているとRED仲間のキチガイ男マーヴィン(マルコヴィッチ)が登場。彼は自分が再び誰かに命を狙われていることを告げる。だが、フランクはこの生活を捨てることを嫌がり彼を助けようとはしなかった。マーヴィンは諦めて車で帰ろうとすると、彼の車は爆破されてしまう。こうしてフランクは再び戦いの中に入って行く事になる。

まあ要は1の映画と同じ話を、1よりアクションも、演出も、プロットもヌルく作った続編です。戦いは世界規模になったり、核爆弾が登場したりするが、それでもヌルい。午後のロードショーでもヌルい方に数えてしまうだろう。

年寄りだけどカッコいいだからREDは成立していた。しかし手垢にまみれた演出が連続するこの続編は、年寄りがヌルい映画をやっているだけなので本当に高齢化したハリウッド映画以外のなにものでもなくなってしまっている。
REDというコンテンツは、オールドマンとフレッシュさという非常に難しい両立が必要だ。この先続編を作るならばよりそのハードルは必然的に上がってしまうだろう。
次回があるなら、車椅子に乗りながらガンカタとかやるくらいぶっ飛んでくれないかな。