アドセンス2

2014年3月2日日曜日

【評/感想】『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』ネトウヨへの挽歌!傑作思春期ノイローゼムービー!



ヒョロガリ高校生がコスプレヒーローとなり、巨悪に立ち向かう前作『キック・アス』は大ヒットを記録した。
そして満を持して3年ぶりにスクリーンに帰ってきた『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』は期待とは裏腹に、アメリカの批評家の間での評価は芳しいものではなかった。レビューサイトRotten Tomatesでは実に70%がネガティブな意見を表明し、興行成績の面でも前作には及ばなかった。

低評価の理由をざっくりと要約すれば、新鮮味のなさが責められている。しかし、それらは適切で無い。むしろ、『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』は前作よりも色濃く思春期の心の不安定さを描いた傑作だ。

『キック・アス』の死闘から数年、ミンディ・マクレイディ(クロエ・グレース・モレッツ)はキック・アスことデヴィッド・"デイヴ"・リゼウスキ(アーロン・テイラー=ジョンソン)と同じ高校に入学する。ビッグダディ亡き後のミンディの保護者マーカスは、彼女に再びヒット・ガールになることを固く禁じたが、ミンディとデイヴは秘密の特訓を繰り返していた。

二人は再びヒーローとして活動をしだすが、マーカスにそのことがバレてしまい、「普通な女の子」になることを命じられミンディはハイスクールのクイーン・ビーらとつるみ始める。

一方で、デイヴはフェイスブックで知り合ったコスプレヒーローたちとスターズ・アンド・ストライプス大佐(ジム・キャリー)をリーダーに、チーム「ジャスティス・フォーエバー」を結成し、街の自警団として活動を始めた。

そのころ、レッドミストことクリス・ダミコ(クリストファー・ミンツ=プラッセ)は最強の悪人を目指し、マザー・ファッカーと改名し、悪の軍団「トキシック・メガ・カント」(訳せば「毒々メガオマンコ」笑)を準備していた

本作の肝は何が自分にとってのリアルかという問題だ。何かにどっぷりと浸かった経験があるならきっと分かると思うが、日常生活を軽視し、自分の好きなことをしている時間こそが本当の人生だと思いがちだ。

今の時代なら、現実の自分ではなく、ツイッターなどのSNSの人格こそを本当の自分だと思っている人も多いことでしょう。ネット右翼などはより顕著だ。日常の価値観こそが誤りだ、日常なんて下らないといった具合に正義感を振りかざす。

ジャスティス・フォーエバーのヒーローチームは、まさしくネットコミュニティの戯画だ。インターネット上の理想を反映したアバターを現実で演じているオタクたちの物語なのだ。
この点でジャスティス・フォーエバーという文句もいささか皮肉的で、自らの信念としての「ジャスティス」ではなく、自分を装飾するためにファッション感覚で「ジャスティス」を着飾っている。
特に顕著なのが、リーダーのスターズ・アンド・ストライプス大佐だ。星条旗の名前の通りアメリカの保守主義を象徴するキャラクターで、Fワードに激怒したりする。しかし実は彼は、元マフィアで、モルモン教徒(アメリカ版創価学会を想像すればいい)で、真性のサディスト。
彼を大黒柱に活動する自警団ジャスティス・フォーエバーの正義はいささか歪んでいるのだ。むしろ、その本旨はKKKと近いようにさえ見えた。

それにも関わらずデイヴはチームに没頭し、普通の女の子になると言ったミンディに「目を覚ませ!君のリアルはヒーローなんだよ!現実なんてクソ食らえじゃないのかい?」と訴えかける。
もはやデイヴの正義に対する姿勢はカルト的にすら映る。

しかし、それこそが思春期なのだ。何かに熱中し、自分の立ち位置を客観的に見ることができない。
たとえ、客観的な意見を言われても聞く耳を持たない。


デイヴが狂言回しという立ち回りから、真の主人公に移った『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』は、青春の一種のノイローゼ性を描いた今までにない思春期ムービーなのだ。