アドセンス2

2014年7月3日木曜日

【意見】港区のムチャクチャな禁煙新条例 タバコを吸うために2キロ歩かなければならない現実



僕のバイト先は港区の青山一丁目駅にある。僕は毎朝、駅の外の喫煙所でタバコを吸うのが習慣だった。

ところが、71日からその喫煙所が撤去された。そこには一枚「禁煙」と書かれた張り紙が付けられていたのみで、なんのアナウンスもされていなかった。
そこで調べてみると、同日から港区で新しい喫煙ルールが施行されたことがわかった。

それがこれだ。
港区環境美化の推進及び喫煙による迷惑の防止に関する条例(http://www.city.minato.tokyo.jp/kankyoushidou/kankyo-machi/kankyo/tobacco/rule/tobacco.html

ざっくりと要旨を説明すると、道路、公園などの公共の場所での喫煙の禁止。さらに、たとえ私有地であっても屋外の公共の場所にいる人が煙を吸わされる恐れがある場合、事業者は喫煙所の撤去を行わなければならないというのだ。

 要するに、屋外の路面に面している喫煙所は全て撤去しなければならないというわけだ。

一応全面禁煙とは未だならず、「指定喫煙所」での喫煙を許可しているが、港区が定めている喫煙所の数はたった21箇所しかない。
港区には33の駅があることを考えれば、その数の異様な少なさは分かっていただけるはずだ。

現状だと、青山一丁目駅に努めている僕は1キロ以上遠くにある喫煙所へ行かなければタバコを吸えない。行って戻るを考えれば、往復2キロ歩く必要があるのだ。

今の時風から、喫煙に一定の規制が敷かれることは仕方がないと思うものの、2キロ歩かなければタバコを吸えないような規制は合理的と言えるだろうか?

昼休みに一本タバコを吸いたいというささやかな欲望も、往復2キロの前では時間の問題で叶えることが出来ない。これが合理的な規制なのか?

630日までタバコの吸い殻が落ちていなかった喫煙広場は、灰皿の撤去の後から地面に吸い殻が目立つようになった。これこそが答えだ。
本来マナーを守って喫煙していた人たちですら守りようがない無茶なルールを一方的に強いているのが現状なのだ。

いま、青山一丁目駅には最小限の喫煙所すらない。

現状の指定喫煙所の設置数の不備を認めて、せめて労働の束の間の休息を滞りなく出来るような、最小限の喫煙所の新設を港区に強く求める。


2014年7月2日水曜日

【評/感想】『トランセンデンス』 教訓的映画、バカが哲学的なことを語ることの滑稽さ



クリストファー・ノーランの商業作品第一作目の『メメント』から『ダークナイト・ライジング』まで、ノーランの右腕として撮影監督を務めたウォーリー・フィスターの監督デビュー作が『トランセンデンス』だ。
二人三脚的に同じキャリアを歩いてきた二人が作る本作は、実にノーランらしいテーマに満ちている。『メメント』以来繰り返し描かれる人間のアイデンティティの問題、『ダークナイト・トリロジー』で描かれた大衆監視や、超人、そして階級問題。キメラのように作品のそこかしこに、ノーランの刻印が刻まれているのだ。
まともに考えれば、一作品で描いてきたテーマを一挙にまとめて語ろうとしたって、語れるはずがない。そう思う反面、ノーランなら、あのノーランなら出来るのでは無いだろうかと強く思わされるのも事実だ。
実際の出来はどうだったか―――

まあ、無理だよね。



ざっくりと言えば、ジョニー・デップ演じるウィル・キャスター博士が、反AIテロ組織に撃たれて死亡。ウィルの脳みそを妻のエヴリン(レベッカ・ホール)がパソコンにインストールする。
ただ、ウィルといっしょに居たいだけというエヴリンの希望は案の定覆され、AIのウィルは超高性能の量子コンピュータをフル稼働し、たった数年で人類の手に負えないレベルの開発を何十も行う。

その最大の発明が「ナノマシーン」だ。空気中の自己増殖する有機細胞があらゆるものを再生させる。瀕死の人間を生き返らせたり、壊れた太陽光パネルを修復させたり、なんでも出来てしまうのだ!
しかも、そのナノマシーンはすべてジョニー・デップの意思で動くという、まさに最強設定である。さらにその粒子たちは地球全土にひろがってしまった!

FBIはドナルド・ブキャナン(キリアン・マーフィー)らをリーダーにチーム結成し、世界を救うべくウィルのアジトへ戦いを挑むのだ!

それが、これ。




ジープがたった7台ほど……
お前ら本気で世界を救う気があるのかよ!

クライマックスですらこのザマなズッコケ具合ということで、作品中幾度と無くどうしようもないお馬鹿なシーンが現れるわけだ。
そもそも脳みそをインストールしようとしている時に、マックス・ウォーターズ博士(ポール・ベタニー)というAI研究者で有りながら、テクノロジーの倫理を訴える男がそこに立ち会うのだが、エヴリンに「この部屋から出て行って!」と言われれば、超素直にお家に帰ってしまう。
なんという茶番!

ナノマシーンとインターネットによって、物理的にもウィル・キャスターは世界と同じ大きさの自己を獲得した。そんな男は人間と呼べるだろうか?という問自体には、新鮮さも、面白さもある。

ただ、この映画はその問を深めるどころか、考えるのもアホらしくなるようなお馬鹿シーンの連発だ。バカが哲学的なことを語っていることほど滑稽なことはない。(自分も例外ではないが)


この映画が教えてくれた唯一のことは、いくらそれらしきことを言おうと、語り手に内実が伴わなければ力は生まれないということだ。