大学のテスト問題の為の草稿
近代主権国家体系の成立と変容にあたって戦争が果たした役割
近代主権国家体制以前のヨーロッパはキリスト教世界だった。そこでは、世界は神によって想像された一つの存在であると考えられており、地上の世俗世界における皇帝などの統治権も神の代弁者たるローマカトリックの法王により授けられたものであり、統治権の権威は法王に依存していた。
1517年に始まったルターの宗教改革は、腐敗したカトリック教会に異議を唱え、聖書を介した人と神の直接の対話を主張し、カトリックの絶対的な権威を揺るがせた。同時に教会を頂点とし、下部にあった世俗の権威も崩壊し、王位継承や領地をめぐる領主間戦争、領主に対する農民戦争が、カトリック対プロテスタント間の宗教戦争と絡み合いながら進み、1618年30年戦争が勃発する。
30年戦争でフランスは、旧教国であるにもかかわらず、神聖ローマ帝国の野心を阻止する為に新教をとるスウェーデンを公然と支援する形で、自らの国益の追求という形で国家理性を発動させた。これは自己目的存在である国家の主権の成立にとって一つの契機だった。
30年戦争の講和条約としてウェストファリア条約が結ばれる。戦争の原因が新教の弾圧にあったため、宗教を理由に他国に干渉する事を禁じた。またルター派と並び、カルヴァン派の信教も認められることとなった。しかし信教の自由は都市単位で君主のみがもつものに限られていた。
この条約により宗教的権威としてカトリックの絶対性は消滅し、国家は内的には絶対的な権力として、外的には内政不可侵の原則のもと独立性を獲得するという形で近代主権国家体制は成立した。
主権国家体制は他国への不干渉を原則としていたにも関わらず、非文明国に対しては主権をもたない国であるとして帝国主義政策をすすめた。
現代のグローバル化は人権侵害への対応や地域統合のため主権は制限される一方、国家の領域を超える企業、テロ組織などのアクターの出現も進行しており、ウェストファリアシステムは、ポストウェストファリアシステムへと移行している。
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