アドセンス2

2014年1月28日火曜日

【評/感想】7BOX [セブンボックス]パラグアイからやって来たテクノロジー賛歌



シネマカリテのオトカリテという、DVDスルー作品の劇場公開企画で鑑賞。
鑑賞前は画質に一抹の不安を感じていたが、動画自体は問題なく見れた。しかし、字幕は少々潰れ気味になっているが気にする程度のものではない。
500円という価格を考えると文句を言うのは、おこがましいだろう。

映画を作れない国も多い。食べることで精一杯な貧しい国では興行が成り立たないからだ。
パラグアイもそんな国の一つに含まれる。この映画が公開された2012年時点でも、ドメスティックで制作された映画は20数本ほどしかない。(ちなみに世界最大のシネコンは30スクリーンを有するアメリカカリフォルニア州のAMCオンタリオミルズ30。全てのパラグアイ映画を公開できる)

しかし、状況は変わりつつある。依然経済は未発達ではあるが、カメラの低価格化と、インターネットの普及によるワールドワイドでの興行の可能は映画後進国にとって希望だ。
セブンボックスのエンドロールには多くのボランティアスタッフの名前が書かれている。国民の誰もが映画を希求しているのだ。ある意味では、究極のナショナリズム映画と言ってもいい。

この映画は映画への愛と、パラグアイへの愛で溢れている。
スラムのような市場で運び屋をする、映画がなによりも大好きな少年がこの映画の主人公だ。店先で見たノキアのカメラつき携帯電話で映画を撮影したいがあまり、マフィアから危ない仕事を引き受ける。しかし、手違いから彼はマフィアたちから追われてしまう。

舞台は一貫して市場、その小さな空間を駆け巡る。汚いが、活力で満ち足りた中を走るショットはとにかくビジュアルが力強い。それは、前述したようにボランティアスタッフの協力があってこそ、人でゴチャゴチャしたカオスな町並みを作ることができたのだ。

この映画はなにより顛末がすばらしい。
事件のクライマックスをとあるカメラが捉えていたのだが、その映像がテレビジョンで全国に放送され主人公がさながら映画スターのようになるのだ。アンディー・ウォーホールが「語った未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」という言葉を思い出させる。しかし、それは冷笑的な意味ではない。可能性が全ての人に開かれた現代を賛美する意味だ。
今日本ではマスコミが毎日のようにITテクノロジーを批判する。しかし、その裏には芸能を利権的に支配したいという隠れた欲求をいささか感じるときがある。

何者だろうと、認められうるテクノロジーの時代を正面から喜ぶ映画が、非テクノロジーから現れたのは日本にとっては一種の皮肉にも見えた。

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