アドセンス2

2013年12月15日日曜日

【評/感想】「認知症も悪い事だけじゃない」という言葉が偽善的に聞こえる人に勧めたい『ペコロスの母に会いに行く』



『ペコロスの母に会いに行く』を見てきた。
ウィークエンドシャッフルなどで、「号泣、嗚咽がとまらない」などの感想に背中を押されて向かった。

予告編で、「ボケるのも悪い事だけじゃないね」といってたりしてるのを見て、行く前は私の好きそうな映画ではないかもなと思っていた。病気を肯定して生きるというのはありうることだけど、映画でのそれはいかにも偽善的で、ただ観客を肯定し感動を呼ぼうとする魂胆が見えるものばかりだった。

『ペコロスの母に会いに行く』もそういった病気を扱う映画と同じ様に「ハートフル」だし、人情が溢れた映画だ。それは『男はつらいよ フーテンの寅』などを手がけた森崎東監督の持ち味の一つだ。その一方で、それはひとつの側面、あるいはオブラートの外側にすぎず、その内実はかなりハードコアで、アバンギャルドなサイケデリックムービーでもある。

62歳の主人公・岡村雄一(バンドもやっていて、ステージネームがペコロス)は89歳の認知症の母・みつえを介護しながら、息子と三人で暮らしで、みつえに振り回されながらも、音楽を支えに、日々を送っていた。おれおれ詐欺に引っかかりそうになったり、勝手に外にうろつく母を探し回ったりする様をカメラは面白おかしく捉える。亡くした夫を生きているように「おとうさんはどこにいるの?」といったり、幼少時代に一緒に育ったものの若くして死んだ友人に手紙を書いたり、記憶の交錯も起き始める。ただ、これらのシリアスなものも演出の力で笑いに昇華している。映画館は終始笑いに包まれていた。

だが、認知症は進行しケアマネジャーに施設への入居を薦められる。雄一は入居させたいものの、みつえは入居を嫌がる。幼稚園児を扱うような話し方、狂ったような入居者をみつえは訝しく思っていた。そして何より、息子の雄一と一緒にいられないことを最も嫌がっていたのだ。
ちなみに、『ペコロスの母に会いに行く』というタイトルは、「私は介護はしていません。ただ、施設に会いに行っているだけです」という謙遜からきている。

入居者や、その扱い方を拒むみつえは、彼らとは一線を画し自室に閉じこもる。そして彼女は自らの記憶の中にどんどんトリップしていくのだ。そしてそれらは、いままで誰にも言えなかった、トラウマ的な記憶たちなのだ。
農村の10人兄弟の長女だったみつえが、病弱な妹に畑仕事をさせ、ある意味殺してしまったこと。夫(加瀬亮)のDVや、すべてを酒に使ってしまい空の給料袋を持ってきたこと。それを苦に、雄一と冬の海の前で心中を図ろうとしたこと。
それらを、断片的に前後にとらわれず観客に提示する手法はさながらサイケデリックムービーのようなのだ。

亡き父とみつえの思い出の場所が、長崎ランタン祭であることを雄一は思い出す。元気をなくしていた、みつえを雄一は祭に連れて行く。そしてランタンをさながら走馬灯に見立て、観客もみつえの記憶の中へと潜って行き、感動のラストへと話は一気に向かう事になる。
(ここはとにかく撮影がすごい!夕闇のなかのランタンの幻想的な雰囲気を心理描写と重ねるように自由自在に、恐ろしくも、美しくも描いている。ここもサイケっぽさがあって、イージーライダーのラストの祭描写とすごくよく似ている。)

この映画は単なる認知症映画ではない。見る前に私が偽善的だと吐き捨てていた、「ボケるのも悪い事だけじゃないね」という言葉が跳ね返ってくる。つまり、この映画での先の言葉は「つらい現実をみるよりも、幸せな記憶に閉じこもれる病気って素晴らしいよね」というどこか皮肉的な言葉なのだ。

ディテール的部分の認知症ギャグ、ハゲギャグも冴え渡っているし、なにより最高齢主演女優としてギネスに認定される(らしい)御年88歳の赤木春恵の演技がすばらしい。また、アウトレイジファン的にはこの映画の加瀬亮の役はまんまそれ!というか、倫理的にはもっと酷いことをやっちゃってたり生唾ものだ。
この冬の隠れた名作として是非見るべき作品だ。

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