アドセンス2

2014年8月10日日曜日

【評/感想】『STAND BY ME ドラえもん』”ドラ泣き”とは、藤子不二雄が映画の出来にあの世で泣いているということだ。


山崎貴監督作品過去レビュー、併せてどうぞ










山崎貴よ、藤子F不二雄に土下座しろ。


ALWAYS 三丁目の夕日』や、今となっては、『永遠の0』でお馴染みの山崎貴監督の最新作『STAND BY MEドラえもん』を私は絶対に認めない。

ドラえもん第一話「未来の国からはるばる」、「たまごの中のしずちゃん」、「しずちゃんさようなら」、「雪山のロマンス」、「のび太の結婚前夜」「さようならドラえもん」、「帰ってきたドラえもん」の7つの珠玉のエピソードを再構成して一本の長編アニメーション映画にしたのが本作だ。
おおまかに言えば、しずかちゃんとの恋愛と結婚によるのび太の成長を描き、その成長の結果ドラえもんが未来に帰っていくというのが大筋の流れだ。

この映画が、原作マンガやTVアニメと一線を画すのは、ドラえもんとの出会いから別れという時間の流れを導入した点にある。一話完結のいわゆる「サザエさん時空」を再構成によって、連続したものにしている。

ただ、それが山崎貴という監督の作風と全く合っていないのだ

ALWAYS 三丁目の夕日』や『永遠の0』で散々指摘されているが、彼の作品は映画の内部が個々に分節化されているものの、分断された小ストーリーごとが、映画総体としての整合性を確保していない。その欠点がこの作品でもそのまま継承されてしまっている。
具体的に言えば、『STAND BY ME ドラえもん』は成長を描く物語にも関わらず、のび太はひとつの起承転結が終わると、リセットされ元の頼りないのび太へ何度も、何度も戻ってしまうのだ。



努力しようと決断したその3分後には「ドラえも〜ん!」と泣きつき、道具にコリゴリしたにも関わらず、すぐに道具を借りる。
オープニングとエンディングのないTVアニメを見ているような感覚に陥るのである。

ブスは、ブスというだけで悪




さらに、山崎貴には“今”映画を撮るという意義と意識が全く欠けている。ディズニー映画が、『アナと雪の女王』や『マレフィセント』で男性従属的なヒロイン像を解体するように、過去の作品のリメイクを行うという行為は、それ自体一種の政治性、現代的な倫理性が求められる。
だが、この作品の物語の原動力は極度に差別的な意識に根ざしているのだ。

物語は、セワシとドラえもんがのび太の部屋にやって来て、「まともな大人になってくれないと困る」という説得から始まる。その説得の材料がジャイ子とのび太が結婚した未来を写した写真なのだ。
のび太は「ジャイ子は嫌だ!」と強烈な嫌悪感を露わにして、しずかちゃんと結婚できる未来を目指して努力するのだ。

このやり取り自体は、藤子不二雄の原作にあったことは知っている。しかし、こんな露骨なブサイクへの差別観を子供も見る映画で描くというのはあまりにも時代と合っていない。

また、大人向けとして売っている本作ならば、本来は「なぜジャイ子と結婚したくないのか」という疑問を掘り下げなければならないはずだ。そして、その答えが本当ならば「しずかちゃんへの愛」のはずだったのだ。

しずかちゃんへの恋心をのび太は「刷り込みたまご」で成就させようとするが失敗し、雪山で遭難したしずかちゃんを助けに行っても失敗する、しかししずかちゃんは「のび太さんが心配だから」と結婚を決める。

努力なきしずかちゃんとの愛



結局のび太はしずかちゃんを惚れさせることを、この映画では何一つしていない。「のび太の結婚前夜」でのしずかちゃんパパの名セリフ「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」が出てくるも内実がCG版には伴っていない。
たとえば、「結婚前夜」ならのび太は、見知らぬおばあさんの重たい荷物を持ってあげたり、道で引かれそうな猫を命懸けで助けようとする、誰にも優しい人間だった。
しかしこの映画では優しく、人を思いやる面が完全に欠け、ただ女の尻を追いかけている色魔になっている。

「ドラえもんはラブストーリーでした」というコピーが予告編で流れるが、これのどこが愛だというのだ!

すこしではあるが山崎貴のドラえもんには期待もしていた。山崎貴は、誰よりもドラえもんを「パクった」映画監督だからだ。特に、監督デビュー作『ジュブナイル』は未来から、少年主人公を助けに来るためにロボットがやって来るというドラえもんと全く同じ構造の作品だし、そのオチも大人になった主人公が、少年主人公のためにロボットを作って送り出すというドラえもんの非公式エンディングを丸パクリしたものだったからだ。

そんな製作者がこんなものを作ってしまうとは嘆かわしいばかりだ。

STAND BY MEな絵作りだけは最高



もっとも、白組のCGのクオリティ自体は素晴らしい。
ピクサーと同等とは言えないものの、フォトリアルな無機質の質感はかなりの精巧さだ。さらにカートゥーンテイストとなったキャラクター達が、その上に立つことによって箱庭のような独自のビジュアルが完成した。

それが、最大に活かされるのがタケコプターのシーンだ。リアルだが、おもちゃのような町並みを、爽快に飛び回るさまを一人称視点で撮影し、あたかも自分がドラえもん達の街・練馬区すすきヶ原を飛び回っている感覚になるのだ。ハリウッドの『アイアンマン』や、『クロニクル』に勝るとも劣らないシーンだ。

さらに、一人称視点はまさに目の前にドラえもんがいるという、夢の様な様子も描く。私達がのび太に憑依したような距離にドラえもんがいるのだ!

そう、STAND BY MEなのだ!



3 件のコメント:

  1. 代わりにしずかちゃんのパパに対して幸せを願っているからねって言って、それがあの話に繋がったっていうのはちょっと面白いと思ったよ

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  2. 映画はともかく、原作の結婚前夜ではおばあさんや猫を助けるシーンは元々ないぞ

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  3. 人の幸せを願う優しさがあるどころか、クズすぎるやつなのに、突然しずかパパにそう言われてるっていうのはすでに原作に対して結構突っ込まれてること

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