アドセンス2

2014年2月23日日曜日

【評/感想】『17歳』居場所探しが導く場所は



17歳。田村ゆかりらの17歳教、尾崎豊の『十七歳の地図』、雑誌セブンティーン。ただの年齢以上の意味を持っている。26歳や、52歳などとは全く違うのだ。
17歳という年齢のキラキラした青春という部分だけが目につきがちだが、それはひとつの側面でしかない。きっとそれは大人と子供の中間で、どちらの良さも調和しながら発揮できた結果だ。しかし、必ずしもそうとは限らない。フランソワ・オゾンの映画『17歳』は、不和どころか互いが互いの欠点を増幅するような形で少女を導く暗黒の青春映画だ。

恵まれた家庭で育った少女イサベルは17歳の誕生日を美しいビーチのバカンス先で過ごし、そしてそこで年上の大学生と初体験をした。自分の美しさに無自覚なまま無邪気に色気を振りまいていたビキニ姿が鮮烈だったが、シーンは一転し秋へ映る。

それまですっぴんだったイサベルの口元には真っ赤な口紅が塗られ、グレーのブラウスに黒のジャケットを羽織り、ヒールをカツカツと鳴らし街を闊歩し、ホテルの入り口を潜る。その出で立ちはまさしく「女」のそれだ。

彼女がそのホテルへ来た理由は援助交際だ。SNSで約束し、部屋で待ち合わせる。彼女は病的に援交を繰り返すが、ある事件をきっかけにこの事実が家族にばれてしまう―

私は見ていてとても苦しい気持ちだった。ミューズと言ってもいい美しさを持つイサベルが、自ら積極的なまでに堕ちていく姿に心を痛める。セックスワーカーを侮蔑するなという倫理的な説教をされても構わない。彼女の姿を「汚れていく」という言葉でしか私は表現できない。

映画の中で彼女は全ての誘いに応じていることが分かる。演劇にも、同級生とのパーティにも、同級生からのキスも彼女は断らない。彼女が売春を始めた理由も同様に、単に誘われたからなのだ。

また、印象的なのは誘われて行った場所で彼女はキョロキョロとあたりを物色したり、建物の中をうろちょろと歩きまわる。まさしく、思春期特有の居場所を探しだ。

そのなかで、彼女が売春だけは続けた理由は彼女に対してもとめるだけではなく、彼女に何かを与えようと、彼女を喜ばせようと男がしたからだ。イサベルを他者として承認した上で、彼女にたいして尽くすことに喜びを覚えたからでしょう。

この映画はファッションによる演出が素晴らしい。少女の時には、モッズコートを着て、女の時にはコンサバなスーツを羽織るのだが、シーンごとの着こなしにより、とても似合っている時もあれば、まったく様になっていない時もある。
脱皮をするように服を着替え、彼女は自分のスタイルを探していくことが映画の魅力を数倍にも大きくしている。

どちらかと言えば私は童貞気質の抜け切らないタイプだけに、女の子の気持ちを理解しているなんて言えない。それだけに、女性の感想を聞きたい一本だ。



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